イルム通信(No.10 / 2012年5月16日発行)

 

裁判関連冊子できました!   川瀬俊治

 金稔万さんの裁判はいよいよ本人尋問という大きな山場へと入る。これまでの裁判の経緯をまとめた。

 まず金稔万さんが「なぜ裁判をするのか」という主張が人々に伝わる必要がある。そこで冊子の冒頭に彼が一文を草した。稔万さんがそこで語っていることは、本名問題の核心であり、歴史的検証であり、政治的・社会的分析である。そういう意味では必読の文だ。末尾で「この裁判は負けるわけにはゆきません。私の存在をかけた闘いであると同時に、本当は朝鮮名を明らかにしたいと思いながら、社会の朝鮮人に対する偏見や仕事上のことなど考え、ずっと耐えて通名を名乗らざるを得ない人に、「やはり通名を強要するのは間違いだ」ということを示したいのです。」この文章に稔万さんの覚悟と裁判の歴史性が出ている。ビンビンとわれわれに響く。

 掲載内容は次の通り。▼「被告側、サインも偽造-裁判経過報告」中村葉子 ▼「おれは日本人じゃないし」石田みどり ▼「この闘いはキツイぞ。だけど大丈夫!」徐文平 ▼「勝たねばならない裁判-第7回口頭弁論を傍聴して思ったこと」小西和治 ▼「名前は、「名のる人と呼ぶ人」でなりたつ」他。

フリージャーナリストの中村一成さんが聞き書きされた朴正恵さん(大阪市民族講師会共同代表)の「民族学級で教えて」は上・中・下3回分を一挙掲載した。さんの言葉はわれわれにこの裁判が大きな意味を持っているかを改めて示していただいた。3回目のインタビュー最後にこう語っている。

「一つでは変わらへんけど、その点の一つ同士がつながっていった時に運動が力を増していく。過大評価かもしれへんけど、私はね、大阪は積み上げてきたものがあると思うんですよ。むしろこんな時だからこそ踏ん張って、大阪から変えていかないと。この裁判にはものすごく大きな意味があるんですよ」。

冊子の最後に意見書として提出された「論考」を配置した。印藤和寛「在日朝鮮人の本名問題について」と題する論文で、研究レベルでも現段階で最も高いものだと確信している。ただページ数の関係で添付資料が掲載することができなかった。

この冊子は裁判費用の捻出もかねている。「ワンコインで買えるように」との要望で500円にした。どうかたくさん販売していただきたい。裁判を広く知らせていきましょう。

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聞き書き「民族学級で教えて」(下)

        

朴正恵さん(大阪市民族講師会共同代表)

 

大人ががんばって生きることが子どもに元気を

 

民族学級でルーツに出会った卒業生たちが時々、私を探して訪ねて来てくれたりするんですけど、この日本社会で生きる厳しさは色々と聞きますよ。

最近会ったある卒業生は、今は通名で仕事してますねん。自営業ですねんやんか。それで私にいいますねん。「でもソンセンニム、心は違うで、日本社会で生きようと思ったら、しゃあないねん。分かるやろ。俺の気持ちは何も変わりないで」って。営業関係で人の家に出入りするから通名に変えさせられた卒業生もいました。その子は民族学級ですごい頑張ってて、自慢の息子みたいに思ってた子なので愕然としましたよ。色々聞きたかったけど、そういうわけにもいかなかったですね…。それから通名強制ではないですけど、ある子は就職した会社を辞めると言ったら、そこの社長に「朝鮮人やけど可哀そうやと思って雇ったったのにどういうことや!」って罵られたそうです。それでその子は「同情で雇われてたんや。もう日本社会で生きていくのはしんどい」って友達からのカンパで一時期、韓国に行ってました。民族名は残しても、「(日本社会で)生き残るため」と「帰化」した卒業生もいます。インマンさんみたいな通名強制は今もいっぱいあると思います。

植民地支配の時、日本が「創氏改名」に目を付けたのは、朝鮮民族が姓にこだわって生きてきた歴史をわかってたから、民族の心をつぶすのに名前をねらったと思います。今もそれは続いてますよね。やっぱり自分の出自を否定して生きるって、自身喪失につながり、すべてがマイナスになりますねん。

教育現場は今では両親のいずれかが日本人のダブルの子や日本籍の子が多いんですけど、韓国籍、朝鮮籍の大人たちががんばって自分のことを明らかにして生きていくということが、こういう子どもたちに、やっぱり元気をあげると思うんですね。「ありのままでいいんだ」というね。イムマンさんの闘いもそうです。

 

自分のありのままの姿を言えない

 

両親のどっちかが朝鮮人の場合、学校生活でそれ隠して生活している子は多いです。自分の在りのままの姿を言えない、それを押しつぶされていくと、子どもの人格というか尊厳というか、自分を否定していく子どもに育っていくでしょ。だって自分はわかってるんだから、重さはそれぞれ違うけど、どこかで明らかにしないといけないとなる時があるし、その時に「自分のおとうちゃん韓国人やねん。自分のおかあちゃん韓国人やねん」ということをがんばって言うんじゃなくて、「うん! おれもそうなんやで」「私もそうなんやで」って普通にいえるような社会にするために大人ががんばらないと。

現状だとダブルの子は大抵が日本名を選びます。それが実際問題、片方のルーツを否定することにつながる場合が多いんですね。とりあえず脇に置いといて二十歳になったら選ばせたらええねんじゃなくてね。両親のルーツがあって、名前に朝鮮語読みと日本語読みがあることをきちんと説明して、少し意識が芽生えた時に、お父ちゃん・お母ちゃんを大事にする上で、その中でどうするかを考えるような教育を受けさせる。実際、そういう日本人のお母さんもいてました。「「キムは嫌だから、お母ちゃんの名前にする」みたいな子には育てたくない」って。私、その考えにすごい共鳴したんです。

 

死んだ後もその人の名前は残る

 

実は私は母が日本人のダブルです。少し前に見送ったんですけど、人は死んでも名前はなくならないと思います。死んだことで、なおかつその存在が明確になっていく。私は人間の一生は生まれてから死ぬまでとは思ってなくて、死んだ後もその人の名前は残ると思うんですよ。親子関係、親戚関係、私と母の間では母の姓である寺井がずっと残るんですね。母がいた事実は不変だし、母と私はずっとつながっていく。

そう思った時に、ダブルの子たちが金や朴といった姓を否定的にとらえて、「言わない方がいい」じゃなくて、やっぱりお父ちゃんの朴も大事にし、お母ちゃんの、例えば木村も大事にして、友達ができたら何かの機会に、「木村というと日本人みたいですけど、僕はダブルです。僕にはお父さんの朴っていう名前もあるんですよ」って言って、友達が「えっ?」となったら、それは絶好のチャンスやと思って説明していく(笑)。やっぱり「一人に語っていくこと」を繰り返して社会が変わっていくと思うから。

 

自分がどう生きるかという問題

 

イルムの問題は、自分がどう生きるかやと思うし、今後の朝鮮人社会を考えた時、すごく重要だと思うんです。最後まで隠して、死んだ後に「実はあの人、父は朝鮮人で、母は日本人だった」では、その人の人格や尊厳は無視されたと思うんです。もちろん隠したのはその人の責任ですよ。でも同時にその人の責任じゃないでしょ。やっぱり日本社会の問題なんだから。だから私、母を見送る時に「喪主・朴正恵」って言うと、葬儀社の人はキョトンとしてましたけど、「実は母は日本人で私の父は朝鮮人です。母は寺井姓ですが、私は父の姓を受け継いでます」って説明しました。そうしながら自分がダブルであることを再度自覚していく、なんかそういうことをそれぞれが考えた時に、人はありのままで生きられると思う。

でも今ありのままで生きてる人って、どれくらいいるのかなって。朝鮮人の問題じゃなくてもね、自分のことを言えない、たとえば母子家庭であるとか、家族に障害もってる人がいるとか、なかなか自然にいえない部分があるでしょ。そうじゃなくて、親戚に障害持ってる人がいますよとか、親戚に朝鮮人の嫁がいますよとか、なんかそういうふうなことが、特別なことじゃなく当たり前に言える、それが普通の社会にならなきゃいけないんじゃないかなって思います。それはすごい遠い道のりだけども、ほっといたらかわらへんから。

一つでは変わらへんけど、その点の一つ同士がつながっていった時に運動が力を増していく。過大評価かもしれへんけど、私はね、大阪は積み上げてきたものがあると思うんですよ。むしろこんな時だからこそ踏ん張って、大阪から変えていかないと。この裁判にはものすごく大きな意味があるんですよ。(聞き手:中村一成)

 

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【第14回口頭弁論】以降の予定

5月16日(水)11:30~ 尋問

7月11日(水)10:30~ 尋問 

7月18日(水)10:30~ 予備日

大阪地裁808号民事法廷(大阪市北区西天満2-1-10)

 

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