報告:第4回「イルム裁判学習会」(6月28日) 朴実さんの講演-その思い受け継ごう

 

第4回「イルム裁判学習会」(6月28日)

 

朴実さんの講演-その思い受け継ごう

川瀬俊治(事務局)

 

 

イルム学習会に朴実さんを

 

大阪高等裁判所の控訴審の口頭弁論が始まり、今日725の第2回口頭弁論が決まってから、学習会をするにあたって「本名―通名」問題で一番説得力をもつ講師は誰かということになった。金稔万さんが最も推薦したのが、京都の朴実さんだった。

 

628日(金)午後6時半、釜ヶ崎の「ふるさとの家」で始まった4回学習会に50人近くの方々がつめかけた。朴実さんが大阪で講演することはこれまでほとんどなかったから、この機会に聞きたいと思われた方も少なからずおられたと思う。

 

 朴実さんを描いたドキュメンタリー『我が名は朴実』(MBS19861214日放映、第7回「地方の時代映画祭」特別賞受賞)を観たあと、講演に移った。

 

実は朴実さんは朝鮮名・民族名を取り戻す裁判を2回行うことで勝ち得たものだ。

 

1944京都市東九条で在日2世として生まれ、極貧の生活のなか、音楽とめぐり合う。ドキュメンタリーでは夜、誰一人いない高校の校舎で懸命にピアノを弾く姿が描かれていた。

 

なぜ朴実さんは音楽と出合われたのか。おそらく音楽の世界には差別もなければ肩書きも関係ない。純粋な音の連なりが「異なる世界」を創り出すからだろう。

 

独学でピアノをマスターされ京都市立芸術大学に入学される。同じ京都で育った3つ年下の私の10代と比べれば「月とスッポン」の違いがある。

 

ここまで朴実さんを懸命にさせた音楽は、彼を救ったに違いない。精神の高みに自分を向けた違いない。

 

私は韓国のテレビドキュメンタリーで朴実さんを描いた作品を観たことがある。10年以上も前のことだ。途中、朴実さんは突然嗚咽された。その場面をいまも鮮明に記憶している。なぜ嗚咽させたのか。「様々な思いがあるからだ」と漠然とした解釈は止めよう。

 

朴実さん半生で受け止めて耐えていた思い、くやしさがとめどない涙となって流れたのだろう。

 

 

もう一人を映し出す鏡

 

日本国籍朝鮮人として自分が朝鮮人であることで日々向き合えるのは、名前を取り戻すしかない。それまでの苦闘。心無い誹謗、中傷。朝鮮人であることでどうしてこんなに涙を流させねばならないのか。それもドキュメンタリーを映すカメラの前で。

 

実はカメラのレンズはもう一人を映し出す鏡だからだ。自分を映し出す残酷さがカメラにはある。そこで自分はどう表現すればいいのか。涙しかない。

 

この苦闘に共振するその人が金稔万さんだった。私はどれだけ聞かされたか。「朴実さんはすごい」「ぜひともお話を聞きたい」。裁判でめぐり合うべき人だった。朴実さんの涙は金稔万さのものだった。

 

この思いをどうか裁判官よ、被告企業よ、気付いてほしい。聞き耳をたててほしい。

 

問題は裁判でどう一連の経過の中で事実で証明し、気付かなかった姿を白日の下にあらわにするかである。裁判は大詰めを迎えている

 

朴実さんの講演の後、弁護団の奥田愼吾さんから控訴審1回口頭弁論の内容の説明があった。

 

続いて、学習会に参加したみなさんの中から裁判への連帯のアピールがあった。学習会終了後の懇親会にも多くのみなさんが残ってくださり、裁判への思いを語り合った。